2008年09月30日

海の彼方

Mere
  垂直に切り立った崖の上に立つ。小島が浮かぶ海上を眼で追うと丸く弧を描いた水平線が見える。蒼い海の彼方には何が待っているのだろう。

  ここから1534年に冒険に旅立ったJacques Cartier ジャック・カルティエは、北アメリカ大陸に到着。La Nouvelle-France ラ・ヌーベル・フランス(新らしきフランス)と名づけた。後のVille de Québec ケベックだ。ケベックで朝食・昼食によく食べられるのはクレープだという。こんな遠い土地にもブルターニュの記憶が生き続けているのかもしれない。


 ランキング参加中です。よろしくお願いいたします。
  ↓↓↓
にほんブログ村 旅行ブログ ヨーロッパ旅行へ
posted by Missa at 20:27| パリ 晴れ| Comment(0) | フランスの歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年07月30日

L'ouest en mémoire 歴史で見るフランス西部

Troisi eme edition des Grandes Fetes Interceltiques et de Cornouailles dans le Finistere





  Festival de Cornouaille 2008 フェスティバル・ド・コルヌワイユ。1923年からかぞえて85回目という歴史あるフェスティバルなんですよ。今年の写真とビデオが公式ページで公開されています。

  昔はどうだったのか気になりますよね。たまたま非常に興味深いホームページを見つけました。L'ouest en mémoire フランス西部、歴史の記憶です。1945年から現在までのブルターニュとロワール地方の貴重なビデオが集められたMédiatique オンラインメディアライブラリーなのです。全部で124のビデオがあります。

  ここで1950年のFestival de Cornouailleを見つけました。上の映像をクリックするとビデオがはじまります。すでにアイルランド、スコットランドなどケルト文化圏からの参加者たちがカンペールの町をパレードしているではありませんか。画面から響いてくるケルト音楽が心の奥までしみこんでゆきます。続きを読む
posted by Missa at 11:47| パリ | Comment(0) | フランスの歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年01月26日

ルイ16世 追悼ミサ

Louis16_stdenis

  1月21日は215年前にギロチンの露と消えたフランス国王Louis XVI ルイ16世の命日だった。処刑場所は革命広場(現在のコンコルド広場)だった。遺体は近くの墓地に埋葬された。そして1815年1月19日掘り起こされBasilique de Saint-Denis サン・ドニ大聖堂に移された。

    当時墓地だった場所は「ルイ16世広場」という小さな公園になっていて、Chapelle expiatoire 贖罪礼拝堂が建っている。日本人観光客で賑わっているギャルリー・ラファイエットやプランタンからすぐ側にあるのだが、実際に行ったことのある人は少ないだろう。

  私ははじめよく調べずに行ったものだから中に入れなかった。というのも開いているのは木、金、土の午後1〜5時だけ。そこでいったんブルターニュに戻り、また日程を調整して出かけることになった。(片道2時間半かかるので再訪したのは半年後だったが)。それでも内部を見学していると後から数組やってきたから、忘れ去られているわけではないようだ。Louis16

  さて上の写真はサン・ドニ大聖堂で数年前に行われたルイ16世追悼ミサの様子。出席した日本人は私だけだった。ミサの後で地下のクリプトにあるルイ16世と王妃マリー・アントワネットの墓の前でお祈りをした。今年もフランス各地で追悼ミサが行われている。

  右の写真はサン・ドニ大聖堂にある王と王妃の像である。ここには歴代の王が埋葬されている。しかしフランス革命後王たちの遺体は棺から取り出されて、大きな穴に投げ込まれてしまったので誰のものであるか判別できない。

  今年の1月21日。日本では大雪が降った。ルイ16世が処刑された時もきっと寒かったのだろうと考えた。

  
posted by Missa at 15:00| Comment(0) | フランスの歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年06月16日

サン・ジルダ・ドゥ・リュイス修道院とアベラール その2

Abelard
  ここで改めてアベラールの人生を振り返ってみよう。Petrus Abaelardus(Pierre Abélard ピエール・アベラール 1079-1142)はNantesナントに近いLe Palletル・パレで生まれた。1100年頃パリでGuillaume de Champeauxギョーム・ド・シャンポー(実在論派)のもとで学び、やがて哲学者、神学者としての地位を確固たるものにした。その経歴は清水哲郎さんのページにまとめられているのでまず一読を。

  さてアベラールは39歳で、17歳だったエロイーズの住み込み家庭教師になる。若さと風貌、そして名声に自信を抱いていた彼はエロイーズに接近、彼女の心を射止めることに成功した。やがて彼女は密かにアベラールの故郷Le Palletル・パレで男の子を出産しAstrolabiusと名付けた。アベラールは正規聖職者ではないので、法的には問題はなかった。それでも、世間の目を気にしてこっそり結婚しようという申し出に反対したのは実はエロイーズの方だった。

  なぜ、すぐに承知しなかったのか、考えてみてほしい。アベラールはヨーロッパじゅうの学生たちが教えを請いたいと願ってやまないすぐれた教師であった。彼の講義は5000人もの聴講者を集めるほどだった。相思相愛で子供まで生まれているのに、何をためらう必要があるというのだろう。出世のさまたげになるからか。まず当時の結婚観は現代のものとは異なっていたことを考慮しなければならない。
207077222508lzzzzzzz
  キリスト教、公教会の見解によると、エヴァが蛇の誘惑に負けアダムに禁断の果実を食べさせたため人類は楽園から追放されることになった。諸悪の根源になっているのは女性だ。そのような女性とセックスするのも汚らわしい。だが子孫を残さねばならないので、そのための性行為だけは容認するというものだった。「妻を過度に愛する者は、姦通をなすに等しい」という考えが常に根底にあったのである。

  たとえばAbbaye de Clunyクリュニー修道院の院長Odonオドン(879-942)は女性に対し強い嫌悪感を抱き、女性を「糞の容れもの」と表現しているほどだ。そのためクリュニーの修道士たちは修道院的な禁欲を貴族に説いた。またAbbaye de Saint Benoît sur Loireサン・ブノワ・シュル・ロワール修道院長Abbonアボン(988-1004)は、結婚した男女は童貞である修道士と異なり姦淫の罪を犯しているか否か判別しがたい。したがって結婚は悪であると主張したほどであった。

  一方で俗世間では宮廷風恋愛が話題にのぼっていた。Tristan et Iseutトリスタンとイズー(トリスタンと白い手のイズーが暮らした城)やRoman de la Rose薔薇物語のように女性崇拝を堂々と表現した物語が大流行した。ここでは肉体関係をともなう恋愛も当然のこととして登場する。このような時代を生きていたエロイーズがどう考えたのか、次のエントリーでまとめてみたい。

右の本はHéloïse : L'amour et le savoir

  その3につづく
posted by Missa at 08:47| Comment(0) | TrackBack(0) | フランスの歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年06月06日

プランタジネット朝とエニシダのおしえ

  プランタジネット朝la dynastie des Plantagenêt(1154-1399年)とはイギリスの王朝名。名前の由来はマメ科の植物エニシダ(planta genesta 日本名は「金雀枝」)です。アンジュー伯Geoffroy Vジェフロワ5世がこの花をこのんで帽子に挿していたことから、王朝の名前になりました。(15世紀に子孫のヨーク公リチャードが用い、その後17世紀の歴史家が使い始めました)。王朝を開いたのは息子のHenri II d'Angleterreヘンリー2世です。  
  
Geoffroy V (né en 1113 - mort le 7 septembre 1151 au Mans), comte d'Anjou et du Maine, et plus tard duc de Normandie, appelé « Geoffroy le Juste » ou « Geoffroy Plantagenet », était le fils de Foulque V, comte d'Anjou et roi de Jérusalem et d'Erembourge du Maine, héritière du Maine. Il devint le fondateur de la dynastie des Plantagenêt des rois anglais.

Genet1
  今日のお話はこのエニシダ、フランス語ではle genêtジュネと呼びます。先日Saint Yves聖イヴのパルドン祭 その1で飾られていた黄色い花です。

  この花不思議な性質があると教えてもらいました。写真では知り合いの指に隠れて少しわかりにくいのですが、つぼみを手に取って、花の下の花弁の横をそっとこすります。すると、魔法のように花が開きます。Genet2右の写真のようになります。

  野に咲く花ですからミツバチが飛んできた時にその身体に花粉をつけて、受粉してもらうしくみなのです。自然というのは何て素敵なのでしょう。この花は太陽のエネルギー、ケルトの太陽神ルーの象徴なのです。勇気とか希望のおとずれを意味します。失意の底にあっても信念をすてないこと、信念を貫くことがエニシダの教えです。

  でも友達のドイツ人(農業博士)にこの話をしたら、「虫がいるから気をつけたほうがいい。さわると皮膚にくいこんでうまく取らないと頭が皮膚の中に残ってしまうから」というので、またびっくり。そんな虫のこと、聞いたことがありませんでした。「フランスとドイツと種類が同じかどうかわからないけど・・・」ということです。

   
posted by Missa at 23:47| Comment(118) | TrackBack(0) | フランスの歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする